さようなら長電屋代線~最終日レポ(後) [[実車]乗り]
暗くなり、まともな画像が少なくなっていますが
後編の「乗り鉄編」をお送りします。
[427レ 車内] 3500系O6編成
須坂にチャリを止め、屋代行きに乗り込みました。
最終日は全駅に駅員さんがいたので、ワンマン機器は非作動。
この日は屋代まで行かず、松代で下車。
[426レ・427レ 松代]
須坂行きと交換。
さて、20時前というこの時間に松代に来た目的、
それは...せっかくだから最終列車に乗ろう、と。
長電HPによると、屋代・須坂・松代の各駅最終発車となる列車で記念乗車証を配布するとのこと。
時間的には屋代発・松代発を乗り継ぐことも出来そうに見えたのですが、
改札口から整列しなければならず、後からだと積み残される可能性が十分考えられます・・・。
というワケで、定期最終列車となる松代発の432レのみ乗車することにしました。
積み残されると帰れませんので・・・(^_^;)
余裕を持って発車の2時間以上前に来ましたが、まだ列は出来ていない様子。
駅前のスーパーで物資調達もしたいので、一旦外へ・・・。
屋代線90年に感謝 >< あしたへ!
“あしたへ” …何というか、ぐっと来ますねぇ...
翌日からは代行バスが走り始めます。
ニュースのインタビューでも、やはり定時性を心配する声がありました。
どうしてもそこは鉄道の方が勝っていますよね...
停留所は倍増するようですし、決して悪い面ばかりではありませんが。
(鉄ちゃん目線なので、どうしてもデメリットが目についてしまっていけません)
暖かい飲み物を手に駅に戻ると、最終列車待ち列が出来始めていました。
この位なら乗れるだろう、と安心して並び待機。
窓口には、硬券切符を記念に買い求める人々の長い列が
おそらく朝から途切れることなく続いていました。
既に入場券をはじめ、主なきっぷは売り切れが続出の状態でした...
21時頃...予想よりかなり早く、ホームへ入る様に指示が出ました。
風の来ない駅舎内に居たので外の寒いこと寒いこと(^_^;)
あと数時間、数本の列車を残し、廃止となる松代駅。
後ろにはかなりの行列が出来ていました。
(屋代発から乗り継ごうとする人も結構居ましたが、結局乗れたのかは分かりません)
そうこうしていると、団体列車入線の放送が。
[屋代線ファイナルツアー号] 2000系D編成
りんご電車、最後の活躍になる、屋代行きのツアー列車が到着しました。
屋代で折り返し、432レの約30分後に須坂に到着する「真の最終列車」です。
(ちなみに、屋代線・2000系、両方のファイナル列車ということもあってか、お値段はかなり高めでした)
屋代発の最終列車と交換し、屋代へ発車して行きました。
いよいよ、屋代線定期最終列車の時刻が近づいてきました...
折り返し432レとなる、須坂発最終431レは14分遅れで運行しているとのアナウンスが。
22:24 松代駅1番線
3500系N7・N8編成が連結され、4両編成となった431・432レ。
ラストランのときが、近づきます。
[432レ 車内] 3500系N7編成 3507号車
後方では地元中学校の生徒などからの花束贈呈などが行われたとのこと。
(後からニュースで確認しました。)
ビデオを回して、準備完了。
22:40頃 長野電鉄屋代線 定期最終列車432レ 発車。
松代、金井山、大室、信濃川田、若穂、綿内、井上、そして須坂・・・。
各駅のホームは最終列車を見送る沿線の方々でいっぱいでした。
駅、隧道、橋梁・・・今までの様々なシーンが思い出されます。
大勢の人々に見送られ、満員の乗客を乗せた432レはあっという間に須坂へ・・・。
23:15 432レ 須坂駅到着(約30分延)
大役を果たし、入区する4連・・・。
本当に、あとわずかとなった屋代線・・・ファイナルツアー列車を待ちます。
23:46 ファイナルツアー号 須坂駅着(約35分延)。
2000系の大きな窓に飾られた花束・・・ようやくというか何というか・・・引退を実感させられます。
いつまででも、りんごを眺めていたいところでしたが、時間も時間なので帰らなくては・・・。
・・・後ろ髪を引かれる思いで、チャリを漕ぎ帰宅しました。
大正11(1922)年6月10日
河東鉄道 屋代-須坂間の開業から90年。
貨物輸送や国鉄直通急行で賑わった時代は過ぎ
乗客の流れに合わなくなってしまった河東の鉄路に、廃止という決断がされました。
使う機会も無く、廃線決定前に乗りに行くことも無かった
管理人が言うことでは無いかもしれませんが、正直寂しいものです。
そして、2000系。
写真を撮り始める前からの、なじみの電車でした・・・。
旧村山橋での車との並走シーンなどは今でも鮮明に思い出されます。
最後に・・・
おつかれさまでした!屋代線とりんご電車!
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屋代線、いくつかの駅は車両と共に保存する方向とのこと。
歴史あるものたちですので嬉しいことですね(^_^)
後編の「乗り鉄編」をお送りします。
[427レ 車内] 3500系O6編成
須坂にチャリを止め、屋代行きに乗り込みました。
最終日は全駅に駅員さんがいたので、ワンマン機器は非作動。
この日は屋代まで行かず、松代で下車。
[426レ・427レ 松代]
須坂行きと交換。
さて、20時前というこの時間に松代に来た目的、
それは...せっかくだから最終列車に乗ろう、と。
長電HPによると、屋代・須坂・松代の各駅最終発車となる列車で記念乗車証を配布するとのこと。
時間的には屋代発・松代発を乗り継ぐことも出来そうに見えたのですが、
改札口から整列しなければならず、後からだと積み残される可能性が十分考えられます・・・。
というワケで、定期最終列車となる松代発の432レのみ乗車することにしました。
積み残されると帰れませんので・・・(^_^;)
余裕を持って発車の2時間以上前に来ましたが、まだ列は出来ていない様子。
駅前のスーパーで物資調達もしたいので、一旦外へ・・・。
屋代線90年に感謝 >< あしたへ!
“あしたへ” …何というか、ぐっと来ますねぇ...
翌日からは代行バスが走り始めます。
ニュースのインタビューでも、やはり定時性を心配する声がありました。
どうしてもそこは鉄道の方が勝っていますよね...
停留所は倍増するようですし、決して悪い面ばかりではありませんが。
(鉄ちゃん目線なので、どうしてもデメリットが目についてしまっていけません)
暖かい飲み物を手に駅に戻ると、最終列車待ち列が出来始めていました。
この位なら乗れるだろう、と安心して並び待機。
窓口には、硬券切符を記念に買い求める人々の長い列が
おそらく朝から途切れることなく続いていました。
既に入場券をはじめ、主なきっぷは売り切れが続出の状態でした...
21時頃...予想よりかなり早く、ホームへ入る様に指示が出ました。
風の来ない駅舎内に居たので外の寒いこと寒いこと(^_^;)
あと数時間、数本の列車を残し、廃止となる松代駅。
後ろにはかなりの行列が出来ていました。
(屋代発から乗り継ごうとする人も結構居ましたが、結局乗れたのかは分かりません)
そうこうしていると、団体列車入線の放送が。
[屋代線ファイナルツアー号] 2000系D編成
りんご電車、最後の活躍になる、屋代行きのツアー列車が到着しました。
屋代で折り返し、432レの約30分後に須坂に到着する「真の最終列車」です。
(ちなみに、屋代線・2000系、両方のファイナル列車ということもあってか、お値段はかなり高めでした)
屋代発の最終列車と交換し、屋代へ発車して行きました。
いよいよ、屋代線定期最終列車の時刻が近づいてきました...
折り返し432レとなる、須坂発最終431レは14分遅れで運行しているとのアナウンスが。
22:24 松代駅1番線
3500系N7・N8編成が連結され、4両編成となった431・432レ。
ラストランのときが、近づきます。
[432レ 車内] 3500系N7編成 3507号車
後方では地元中学校の生徒などからの花束贈呈などが行われたとのこと。
(後からニュースで確認しました。)
ビデオを回して、準備完了。
22:40頃 長野電鉄屋代線 定期最終列車432レ 発車。
松代、金井山、大室、信濃川田、若穂、綿内、井上、そして須坂・・・。
各駅のホームは最終列車を見送る沿線の方々でいっぱいでした。
駅、隧道、橋梁・・・今までの様々なシーンが思い出されます。
大勢の人々に見送られ、満員の乗客を乗せた432レはあっという間に須坂へ・・・。
23:15 432レ 須坂駅到着(約30分延)
大役を果たし、入区する4連・・・。
本当に、あとわずかとなった屋代線・・・ファイナルツアー列車を待ちます。
23:46 ファイナルツアー号 須坂駅着(約35分延)。
2000系の大きな窓に飾られた花束・・・ようやくというか何というか・・・引退を実感させられます。
いつまででも、りんごを眺めていたいところでしたが、時間も時間なので帰らなくては・・・。
・・・後ろ髪を引かれる思いで、チャリを漕ぎ帰宅しました。
大正11(1922)年6月10日
河東鉄道 屋代-須坂間の開業から90年。
貨物輸送や国鉄直通急行で賑わった時代は過ぎ
乗客の流れに合わなくなってしまった河東の鉄路に、廃止という決断がされました。
使う機会も無く、廃線決定前に乗りに行くことも無かった
管理人が言うことでは無いかもしれませんが、正直寂しいものです。
そして、2000系。
写真を撮り始める前からの、なじみの電車でした・・・。
旧村山橋での車との並走シーンなどは今でも鮮明に思い出されます。
最後に・・・
おつかれさまでした!屋代線とりんご電車!
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屋代線、いくつかの駅は車両と共に保存する方向とのこと。
歴史あるものたちですので嬉しいことですね(^_^)
tochiさん、瓦葺鉄道さん、dorakuoyajiさん、よしくん さん、トータンさん、
モボさん、皆さんnice!をありがとうございます!!!
by でぃーえむえいち (2012-04-07 23:50)
長電屋代線の最終日、当日は悪天候にも関わらず、
別れを惜しむファンがたくさん詰めかけたのですね。
丁寧なレポートに、私もその場で最終列車を
見送っているような気分になりました。
最終列車の乗車は寂しいですけれど、
一生心に残る大切な思い出ですね。
by あおたけ (2012-04-19 17:54)
あおたけさん、コメント&nice!をありがとうございます!
>最終列車を見送っているような気分になりました。
嬉しいコメントをどうもありがとうございます(^_^)
これで最後なんだな・・・と思うと本当に寂しいものです。
乗車証や記念切符も勿論大切ですが、
「見た」「乗った」という思い出はやはり一番大切ですね。
by でぃーえむえいち (2012-04-19 22:58)
しまりすさん、nice!をありがとうございます!
by でぃーえむえいち (2012-04-19 23:01)